世界樹の迷宮日記SS

本当に私の執筆モチベーションというのは他人に依拠しているなぁと痛感。
こうなったらもはや行くところまで行くしか、というわけでスーパー鳥取大戦レディゴー。本人達には未承諾だが私は謝らないッ!むしろ良ければこれからも使うつもりなのでそっちも何かネタをくれ!


多分前回からさほど間が経っていない探索時の話。四階に足踏み入れたか踏み入れないかの時だった。




落ち着いた空気で満たされたその空間は、冒険者達の数少ない憩いの場である。
エトリアの街に足を踏み入れて大通りを進むこと半時間かそこら。横目に住宅街を眺めながら商店街を横断すると、一本の巨木を背景にした施設群、俗に「冒険者通り」と呼ばれる町並みに辿り着く。その中でも迷宮内の探索に必要な装備の販売所や冒険者たち向けの宿泊施設に負けず劣らずその存在を主張しているのは、彫金された鹿の看板をシンボルとした一軒の酒場だった。
金鹿の酒場。ここがこの街でも最も有名な酒場の一つである理由は、執政院との提携によってエトリアの住民が冒険者への依頼を持ち込むための窓口として機能しているためだけではなく、店主の人柄と料理・酒の味、そして店内の穏やかな空気、それらがモンスターとの戦いや迷宮探索の疲れを癒すことを求める各ギルドのメンバーを強烈に惹き付けるためである。
故に、いつこの店の扉をくぐってみても、店内を見渡してみれば大抵のギルドの冒険者達が目に付く。
カウンターの奥に座っているのは「理想郷」の名を持つギルドに属する、アイスブルーの瞳をサングラスで隠し金髪を逆立てた黒衣を纏う2m近い巨躯の男偵察兵と、クワガタのエムブレムが刻まれた金色の全身鎧を着込んだ黒い長髪の小柄な女守護騎士。街の住民から持ち込まれた依頼の貼り紙(ペットにしたいので可愛いモンスターを一匹捕まえてきてください)に多大な興味を示す守護騎士を、呆れ半分笑い半分で偵察兵がたしなめている。
中央のテーブルを見れば先程店頭で行き倒れた衛生兵見習いの令嬢風少女が剣闘士見習いの勢いの良さそうな少女と守護騎士見習いの気苦労の多そうな少年に拾われて、まさに新規ギルドが誕生する記念すべき瞬間。ほどなくして店を退出するところを見れば、残り二人のメンバーをスカウトしに行くところなのだろう。
そうした様々な人間模様を見ながら歌うのが彼女は好きだった。
酒場にしつらえられた小さなステージ。今は弾く者のいないピアノの横で、幾百幾千と繰り返した深く長い呼吸に乗せて。知り得る限りの音楽を歌い上げる行為そのものが彼女にとってはかけがえの無い時間だった。一見して少年にも見える未発達の体躯に、肩口で切られた柔らかそうな巻き毛が声を上げるたびにふわふわと揺れる。風に流れる旋律はどこまでも安らぎに満ち、精一杯に、楽しそうに、その思いのたけを声に乗せて世界に広げようとしている。
細く、高い声。言葉を持たないメロディが空気を震わせ、旋律が伸び切るように朗々と続く。想いを乗せて幼い体から紡ぎ出されたソプラノが酒場の隅々へと響き渡っていく。その歌に客の誰もが耳を傾けていた。
その時。穏やかな空気を文字通り「切り裂いて」、不意に騒音の塊がカウンターの前に降り注いだ。
突如として酒場の天井付近の空間そのものを破り取って孔が開いたからだ。
カウンター上空に開いたワームホールからまず落下してきたのは赤毛を刈り込んだ壮年の男守護騎士。余程の激戦を潜り抜けてきたのだろう、大柄な体格に纏われた鎧もそれを覆い隠すほどに巨大な鉄板のごとき盾も、全てが全てへこみひび割れている。世界樹に潜る以前から長い年月を戦いに費やしただろうことが一目で分かる鋭い顔立ちに、何故か見た者は色濃い不幸の臭いが漂っていることを感じずにはいられない。
事ここに至ってアリアドネの糸の転送事故だと理解した玄人たちは、念のためにと地震時の避難の如く机の下へと移動する者、自分の頼んだ酒や料理を抱えて壁際へと逃げる者、次に落ちてくるのが前衛か後衛かで賭けを始める者とめいめいに動き始め、事態が理解できない素人たちは、エトリアの随所で稀に目撃されるこの現象を目の当たりにしたのが初めてであること丸出しの呆け面をさらして目を丸くしている。
続いて落下してきたのが緩くウェーブのかかった長いブロンドを肩口でくくった清楚な顔立ちの女衛生兵。彼女の第一印象を聞かれれば男女どちらであろうとも「女神」の一語を思い浮かべることは間違いないであろうその雰囲気は、落下の衝撃を最大限に生かしたヒップドロップを満身創痍で膝を付いた守護騎士に見舞った際の蟲を見るかのような表情にあっさりと裏切られる。乱暴にファーストエイドキットを床に叩きつける彼女の第二印象を聞かれれば、男女どちらであろうとも「羅刹」の一語を思い浮かべることは間違いない。
守護騎士を文字通り尻に敷いた衛生兵の左右に降り立つのは、凛然たる顔つきに尖り気味の耳と小麦色の肌を持つ女偵察兵に、烏の濡れ羽に等しい色の流れる短髪の下に拗ねたような黒瞳を光らせる男剣闘士。どちらも軽装の鎧しか身に着けていなかったせいか、共に全身に開いた大小様々な切り傷から派手に血が流れ、着地と同時に積み木を崩したかのように倒れ込んだ。互いの挙動を見れば何らかの感情が二人の間に存在するだろう事は見て取れるが、今まさに死の淵まで追い込まれた直後だというのに双方共につまらなそうな顔をしているせいで、見た目通りの年若い男女というよりも天の迎えを待つ老夫婦であるかのような印象を受ける。
最後にぼとりと落下したのは、剣闘士と瓜二つの顔立ちを持った少年錬金術師だった。おそらく剣闘士と双子かそれに近い血縁に違いないほどに似た相貌。彼が眼鏡を外してしまったとしたら、二人を顔だけで見分けるためには少し癖の強い髪と比較的素直そうな瞳という差異に気付けるだけの注意力を要求されるだろう。彼には外的創傷は見受けられないものの、錬金術師や衛生兵に特有の内体力消費による濃い疲労の色が表情に滲み出ている。
錬金術師の登場を見届けると空間の孔は収縮して消え去り、歌が止んだ酒場には静寂がもたらされる。ことさらに騒ぎ立てる者など存在しない。この事件はこの街では「雨の後に虹がかかった」程度の出来事でしかない。
ほどなく、全身でへたり込んでいた錬金術師の少年が絞り出すような声で呻く。
「い……きてる、よね?」
「一応な……何つー外皮の硬さだ、ありゃ外部装甲はリグニン蓄積だけじゃなくてカーボンナノチューブか単結晶使ってやがる『クガネ』だぞ」
すぐ傍から心配げな視線を投げかけてくる黒髪の女守護騎士に軽く手を上げて安心を促しながら、剣闘士がその声に応えた。派手に出血してはいるが声を聞く限り五体は満足、重要臓器にも損傷は無いらしい。
「クガネクラス二体配置の構えで守ってる……明らかに何かしらはあると見て間違いないね」
「まあ何かしらっつってもそう重要度は高くないだろうがな。あって試作型の低位の表駒デバイスとかその程度だろ」
「ということは、儂は『その程度』の物の為にまた大怪我をしたわけか……?」
立ち上がる二人の会話に口を挟んだ壮年の守護騎士の声がくぐもっているのは、未だに衛生兵に後頭部を踏みつけられているせいだった。血の気の失せた顔で錬金術師が苦笑する。
「大枚はたいて重装備にしたのにねー」
「全くの無駄というわけではありませんよ。これだけの装備なら単体相手であれば前衛の足止めが上手く行けば小太郎さんの神通力で充分倒せることが証明されました。
とは言え、二体相手に短期決戦に持ち込むには火力が足りません」
体の具合を確かめながら店を汚したことを酒場の店主に謝罪する偵察兵。ファーストエイドキットから取り出した瓶詰めの液体を足元の守護騎士にぶちまけながら衛生兵が吐き捨てる。
「このデクの棒がサンドバッグになるのが長ければ少しは役に立つのだがな」
「くぅ、ツスクル殿の水は身に染みるのう……」
そこで――――ようやく頭が理解に追いついた。
眼前の光景が意味するものを受けて彼女の心はステージの上で呆然と立っていた肉体に歓声を上げることを要求し、当然のように肉体はそれを了承した。涼しげな声が暖かい感情を持って五人の闖入者に投げかけられる。
「♪、♪、♪♪♪♪!」
「おーただいま。ってか何でこんなところにいるんだよ、留守番でやること無かったのか?」
「よくここで歌って小遣い稼ぎをしているようだぞ。稼ぎは全て買い食いに消えているらしいが、今日くらいは私たちのための酒代を期待させて欲しいところだな?」
現れたギルドメンバーへとステージから飛び降りて駆け寄る彼女に気付いた二人が出迎えの言葉を口にする。こんな何気ないやりとりが交わせるということを、彼女は時々信じられないことがある。
かつての未熟な自分ならば、どれだけ手を講じたところで彼から一時も離れようとはしなかっただろうから。
求める姿は視線を巡らせる彼女の姿を認め、ズレた伊達眼鏡の下から気恥ずかしげな笑顔を浮かべる。最愛の相手。かつての半身であり、兄弟であり、保護者であり父親であり絶対者であり神ですらあった。だが大丈夫。今はもう、違う。
死別の可能性すら前提とした別れ。エトリアに訪れるまで経験したことの無かった孤独にすら耐えて時を過ごすことができるまでに彼女は成長した。相手への信頼とは別の部分から来るその恐怖に打ち勝つことが出来るようになったのはおそらく、半年前の出会いのためだろう。
「とりあえず折角帰ってきたことだし、六人で久しぶりに一杯やってからきちんとした寝床で寝ましょうか」
「♪! ♪♪♪〜」
森の加護を受けた弓兵との邂逅が、永遠に赤子のままだった彼女の精神を突き崩してくれたのだ。
「いや、それについて異存は無いが。これだけの大敗を喫したからには次の探索行へ向けての改善案を考えるべきであると儂は思うのだが」
「それじゃあ次の方針としては各個撃破出来る奴は全部して、後は放置して鬼ごっこかなあ。そういうことだからビリーおじさんよろしくー」
「ああ、奴の鎌はかなり高額で取引できるからな。これで資金も潤沢になる、これから資金に困ったときはカマキリ狩りをするとしよう」
「くっ、儂の扱いが悪いような気がするぞ」
「確信できないとは哀れな洞察力だな」
「いやぁ、認めたくないんだろ……」
「……あのビリー、貴方少し休んだ方が」
言葉に出来るならば、「ここにいられて良かった」と思っただろう。
いつもの仲間のやり取りを前に、彼女はそっと微笑した。