世界樹の迷宮日記SS

すぐに他者から影響を受けるのが私の悪い癖。文体とか行動とかにすぐさまハマってるものの影が見て取れる。





エトリアで「モンスター」と呼ばれる世界樹変異生物。これを扶桑では遊戯の将棋になぞらえて「駒」と呼んでおり、その「神通力」と呼称される超常的生態の物理的系統別にツハモノ、カヲル、カツラ、クガネ、シロガネの五種を小駒、カケル、ツノ、オホキミ、タツ、キリンの五種を大駒として大別している――――


「あれ、藍さん、そういえば駒の系統別の能力って何だったっけ?」
「後にしろ小太郎ッ!串刺しになって口からハラワタを吐き出したいのか!」
キルルルルルッ!
手帳から顔を上げてのんきな声を出した小太郎に怒鳴り返した俊悟の声をも突き抜けて轟く甲高い咆哮。
鼓膜を突き抜け三半規管を冒し、脳髄にまで達する奇怪な音声に思わず耳を塞ぐ小太郎が俊悟に乱暴に突き飛ばされた。下生えを押し潰してゴロゴロと転がっていく彼の影を、間を置かずに鋭利な角を携えた鹿が濁った瞳で踏み砕く。
慌てて起き上がる彼が見たものは、戦場の対岸で白目を剥いたビリーが手にした長剣を振り回し、鹿から距離を取ろうとした藍に斬りかかっている場面だった。
「……あーれれ、藍さんってば苦労しているみたいで――よっと」
小太郎は自然な動きで鹿に対して右腕の篭手を掲げた。こちらの陣形を縦断して通り過ぎて行ったケダモノは、速度を落とすことなく大きくカーブを描いて再びの突進をかけてくる。
介入空間座標確定。力場展開、出力設定開始。
「俊兄ぃ、ルヴィ、一撃でいいからあいつを殴ってくれる。動きを一瞬止めてくれると最高」
「努力はしてみるさッ!」
「あいつ痛みを感じてないんじゃないですかねっ!」
脇に生えた樹上へと逃れたルヴィの手によって怒声と共に迅雷の矢が二本放たれる。それを追って激烈な踏み込みと共に俊悟の体が疾走する角鹿を迎え撃つように接近。強固な外皮を抉る矢の刺突に一瞬遅れて繰り出される斬撃が金属質の角と噛み合い、野獣の突進を押し留める。
「と、ま、れぇぇぇぇッ!」
キルルルルルアアアァァァァッ!
二倍以上の重量の相手に地面を削って踏みとどまる剣闘士の姿。絶叫と咆哮が激突し、狭くも無い戦場を震撼させた。
水分子掌握。回転運動開始。上層→右回転、下層→左回転、上下層接触、摩擦回数増加、荷電蓄積三千万V。導電体設定、確認完了。
上空で擦れ合う水蒸気が静電気を含み、火花を散らしてエネルギーの余波を見せ付ける。
正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正、
正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正負正、
正正負正負正負負正正正負正正正正負負負正正負正正正正負正負正正負正負負正正正正負正、
負負正負正負正正負負負正負負負負正正正負負正負負負負正負正負負正負正正負負負負正負、
正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正、
負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負負。
荷電蓄積一億V。絶縁限界突破、放電準備完了。
「良いよ、離脱だ俊兄ぃ!」
鍔迫り合いから叫びに応え、鹿の首筋を強打して飛び退る俊悟。
二度三度と跳躍して間合いを取った兄の姿を確認すると小太郎はかけていた眼鏡のフレームを弾き、遮光モードへと切り替える。瞬時にミラーシェードへと姿を変えるレンズの向こうに狂える角鹿の姿を見据え、
「――――打ち砕け、雷竜の吐息」
わずか頭上3mの位置に構成された雷雲から一条の紫電を解き放った。
雷光は鹿の腹に突き刺さった鏃へと一直線に突き進み、通過した空間に莫大な熱量を残して野獣の肉体へと突き立つとその内臓を灼き尽くす。同時、瞬時に膨張する空間の爆発が衝撃を生み雷鳴が弾ける。
轟音。
断末魔の代わりに湯気を上げて倒れ伏す獣を見届けて、ようやく五人は息を吐いた。
「やっぱお前の神通力は破壊力だけならピカイチだな。殺し合いじゃまだ勝てる気がしねえ」
「…………」
「それでも血が結構持っていかれるからね。連発出来ない分剣術に長けてるそっちの方が長期戦じゃあ有利だと思うよ?」
「……も、申し訳ないと思っておるのだが」
「そ、それにしてもこちらの打撃力の六倍はありましたからね、あの雷撃は!分子操作ということは使いようによっては高熱発生や結晶化も出来るんじゃないですか――」
「たかだか角鹿程度に怯えて我を忘れたにせよ、そのフリをして私に意趣返しをしようとしたにせよ、どの道素晴らしく愚劣に無様だなビリオン」
『…………』
怒っていた。
努めて他の三人は触れないようにしていたというのに、当人達はそういうわけにもいかなかったと見える。
鹿の甲高い咆哮に混乱した際の行動について下手なフォローをかけようとしたビリーの弁解は、開始される前に藍の凍て付いた舌先三寸でバッサリと斬って捨てられたのだった。
「あのヴァーミリオンブレイズが形無しですか……」
「落ち着けってもー、じゃあちょっと交代だ。一旦戻って休んでろ、今度はハピと潜るから」
第二階層に降りて早々チームワークの構成に失敗しかかっていることを悟り、ルヴィは疲れを吐息に載せて吐き出すことが出来ないかという淡い希望を込めた呼吸を存分に楽しんだ。



――――五種を大駒として大別している。以上の十種は、ここでは詳細は省くがそれぞれ別系統の器官をその身に有し、多彩な行動を行う。
しかし、成長を完了しさらに年を経た個体は非常にしばしばそれまで持っていた生態を捨て去って別種の特別な器官を獲得する。これをまた将棋になぞらえて「成る」と呼び、「成り駒」は変化前と比べて飛躍的な能力の向上(エトリアのモンスターにおいては酵素産生・分解速度向上による筋力上昇、神経伝達物質産生速度向上、活動電位閾値低下による反応速度上昇、等を確認)を得る代わりに世界樹本体とのアレロパシーリンク機能を失い、気配隠蔽が不可能になる。
これら神通力を成り駒の捨て去った一部器官を用いることで人工的に発揮させる技術は限定的にではあるがエトリアでも開発されている。それは例えば錬金術師に与えられる空中の水分子操作を用いた術式発動用の篭手であり、「アリアドネの糸」という樹海から帰還する際に使用する辿り糸は重力子放射による歪曲平面展開によって糸の端と端を三次元空間を隔てて接続させるという簡易ゲートを形成する、カツラ型の個体の体組織を流用して作られたと推測されるものである。
こうしたものが量産されていることからも理論はともかく経験則的に世界樹端末の機能理解は稚拙ながらも進んでいるらしいことが分かる。彼らスィケイダーの活動によって現地でのサンプル解析数が増え、エトリアの地の技術革新が早まることを願ってやまない。


「♪、♪〜!」
探索日記に一応の区切りを付けて小太郎が手帳を閉じると、楽しげな声と共に放たれる矢が異常な軌跡を描いて毒々しい紫色の蝶を片端から撃ち落としていた。
「あー、射が出鱈目なのにちゃんと当たるのは何でなんでしょうね貴女」
ハピの弓の師を買って出たルヴィとしては、軌道の途中で直角に向きを変えたり宙返りを打つような矢を放つ弟子に対して何を教えられるのかとこめかみに汗を流してしまうのも無理は無いだろう。
「重力制御で無意識のうちに標的に矢が無理矢理引き付けられるようにしてるんだろ。ってか弓の威力に腕力関係ないなら小太郎より普段の攻撃力は高いことになるな、そうすると」
「かと言ってあまり頼りたくは無いものだ。年端もいかぬ女子を戦場に出すには忍びない」
先陣を切って歩いていたビリーが珍しいことに雑談に口を挟んだ。不意のことに呆気にとられる仲間にも足を止めず振り向きもせず、眼前に現れた巨大なネズミを抜き打ちで斬り捨ててさらに先を急ぐ。
その背中に、小太郎が笑って口笛を吹く。
「ビリーおじさん、たまに口を開くと良いこと言う」
「言っておきますけど貴方と彼女では生物的に比べ物にならない力量の差があるんですよ……?」
眉をひそめたルヴィの問いにも男の言葉は揺らぐことなく、
「判っておらんな。どれだけ力の差があろうとも、愛する者は守るべきだ、それが」
「そう、それこそが」
『漢の生き様ッ!』
……ものの見事にハモった。
背中で語るビリーの言と、拳突き上げ高らかに宣言する小太郎の言葉が。
「……判ってるねぇ」
「小太郎こそな」
常識人二人は男臭い笑みを浮かべて拳をつき合わせる少年と中年(と何故か参加しているハピ)という光景を呆れ顔で眺めやるしかない。
「あーはいはい好きにしてろやお前ら」
「ついさっきその守るべきものを自分の手でバッサリやっておいて……」
「…………」
その言葉に一筋の汗がビリーの額に浮いたのは錯覚ではなかったはずである。
何しろ、
「……っ!?」
彼の巨体が横殴りに吹き飛ばされた時、その場に光る雫が残されたのを彼らは見たのだから。
全身鎧に身を包んだビリーが軽々と宙を舞ったのも驚きならば、それだけの勢いの突進を受け、林立する樹木に叩きつけられてなお即座に立ち上がった彼の耐久力もまた賞賛に値する。
「別の成り駒!?」
「雑魚と戦っておってもこちらを見つけてくるか。探知能力も発達していると見ていいな、厄介な」
血泡混じりの唾を吐き捨て、姿を現した巨大な牛を睨み付けるビリー。即座に戦闘態勢に入った一堂が肉体強化の施されていない小太郎やハピを庇うように陣形を整える。
だが。その野牛は前脚を撓めて跳躍すると、樹木の壁を蹴って前衛をあっさりと飛び越えたのだ。
「なんっ……」
「そんなっ……!」
陣形の中央に敵の侵入を許せば、後衛を咄嗟にフォロー出来る者は存在しない。
そして落下する牛の角の真正面には、きょとんとした顔で弓を抱える少女が――――
……重く、湿った音が響いた。
「――――ッ! ハピ――ッ!」
「こやつ、あの巨体で壁も足場にするか! 立体的に動かれては止められん!」
「一時退却します! 陣形を崩されて戦ったら確実に負ける!」
「分かった!ビリーは小太郎を、俺はハピを持ってく!逃げ切って糸を巻けッ!」
「承知した!」
怒号が飛び交い、俊悟が血塗れになったハピを担ぎ上げ、錯乱した小太郎がビリーに抱え上げられ、ルヴィが牽制の矢を放ちながらジグザグに走って退路を作る。
「ええい、六人全員でここに入れりゃ手っ取り早いんだがなッ! 街の奴ら、妙なレギュレーションくっつけやがって!」
「やはり藍さんの指揮が無ければ雑魚はまだしも成り駒と当たるのは無謀です」
「小太郎の火力もな。問題なのはあいつらがデスクワーク担当だから持久力が無いって事だ」
壊走するチームに歯噛みしながら、ビリーは密かに決意する。
(例え駒を降りれば無力であろうと、守らねばならぬものがある。我が役目は守護騎士ならば。
良いだろう。今日只今より儂はこの身をただ一枚の盾と成さん。最早誰一人、無為に傷付けさせる事無きように)
かつて得た力を全て手放しても戦うことを選んだ男の道行きが、始まる。