とにかくまあ突拍子もなくて唐突で非現実的で、人生で間違いなく一番衝撃的な出会いだったと思う。僕だって人並みには本を読んでいたりテレビを見ていたりするから現実には体験しなくとも「突拍子もない出会い」に少しくらいの免疫はあったのに、全くもって予想もつかない出会いだったんだアレは。




道ばたでぶつかった。ベタだけどまあわかる。
行き倒れを介抱した。何年前かの少女漫画か。
机の引き出しから出てきた。ああアレね。
朝起きたらベッドの横に。僕はまだそんな年じゃない。
空から降ってきた。割と特殊だけど前例はある。




落としたハンカチを拾った。ヤクザにからまれてる所を助けた。生き別れの兄弟です。人違いで声を掛けた。時期外れの転校生。探せばきっと多分他にも。
だけどそんなのはみんな、アレに比べてしまえば至極現実的な所作だったんだなと今となっては感じずにはいられない。机を除けば。
僕は今でもアレに考えを奪われている。




事の次第は三日前。夏の日差しキッツイ第四日曜のことだった。蒸し暑くてほぼ夜明けと共に目が覚めた僕は、同じく年寄り並みの朝の早さで起きてきた母さんに草むしりを言い渡された。
少なくとも僕にとっては一戸建てが良いことばかりじゃないという事実の好例だが、このようにマンション住まいの同級生とは決して分かち合うことの出来ない苦労話は少なくない頻度で家族最年少の僕の身の上に降りかかる。早起きしてゴミを出しとけ、とか回覧板を回して来い、とか。血を分けた兄は当然のように自分の分担は僕に押し付けるから、そりゃもう結構な確率だ。
まあそんなちょっとしたアンラッキーイベントに日曜早々ぶち当たってしまい、無論群れの中で一番格下の僕がそれを断れるはずもなく、やむなくパジャマを着替えるや否や肉体労働のために庭へと降り立つことになった。
洗濯物を干すのでギリギリのはずのチンケな庭にボーボー生えたくる雑草ども。ものの三秒で横断できる庭がことここに至っては前人未到の荒野に思われる。まあ考えているだけで雑草がひとりでに抜けていったらエスパーだが、生憎僕は一般人なので脳天を突き刺す日光の元に身を晒しながら仕方なく地道に一掴みづつ雑草を引き抜いて行かざるを得なかったのであった。




ところで僕は面倒くさがりな癖に凝り性で、物事には自分から手をつけることがないものの一度齧った物は徹底的にやらないと気が済まないという、考えようによっては皮肉なことに非常に面倒な性格をしている。
どうでもいいことといえばどうでもいいのだが、これも原因の一つだったわけで。




大体全体の三分の二程度をむしった所で、物干し台のすぐ脇で野生化したアザミを発見した。既に朝ごはんの時間を大きくまわり、イギリス人がブランチをとり始めるのではないかというくらいだったが、厄介な性癖を発揮した僕は素手の手の皮を軽く貫通してくる棘を持ったアザミを駆逐するために物置に走ってスコップを掘り出してくることを選択した。
スコップ持って帰ってきた僕は、愚直に真下に向けて根を伸ばしていたアザミの周辺の土を掘り返し、ぶちぶちと側根を引き千切りながら固く張られた根の大元を穿り出そうとしたのである。
その時。
アザミ本体から随分と離れた位置で、スコップに妙な感触を返してくるものを掘り当てた。石と言うには柔らかすぎ、土くれにしては弾力のあるシロモノ。ゴムボールでも埋まっていたかと返すスコップでもう一掻き、途端に今度は「ごりっ」と擬音が付きそうな感触が追加された。
警戒心と興味が同時にわいた。
今ひとつ形を成さない予感を胸に抱きながら、その妙な埋蔵物を綺麗に掘り返すために慎重にスコップを振るう。アザミなんか後回しだ。何か笑えるものでも出てきてくれたら、この労働の対価としては充分すぎる。




なんと言うか悪いことに、予想は裏切られず期待が裏切られた。




掘り出した穴の壁面からのぞいていたのは、どう見ても人間の手だった。手首から後を土中に埋めて突き出す細い指。白魚のようなという形容詞を使っていいんじゃないだろうか。多分女。そう年はくっていない。女の子。庭に埋まってる。庭に女の子の腕が埋まってる?
常識的な判断として悲鳴を上げた。
錯乱したまま家の中にとって返して、今頃起きてきた親父が朝食を喰ってる食卓をすり抜けて電話機にしがみついた。110番したのは初めてだった。庭に死体が埋まってることだけ告げて受話器を置き、番地を伝え忘れたことに気付いてまたかけた。
そこまでやってやっと人心地が付いた。いつのまにか家族がみんな食卓に集まってきていた。朝飯抜きで腹は減っていたが食欲は無く、むしろ吐き気がしていた。
後生大事に持っていたスコップを指摘されて玄関に置き、警察が来るのを待つ。僕はもう漫画の登場人物を笑えない。




そう待たされずに警察がやってきて、僕は再び庭に立つことになった。鑑識用っぽい手袋をはめた人が死体を掘り出している間に、発見当時の様子を説明させられた。朝起きたら草むしりを命じられた。アザミを除けようとしたらそこの手を掘り当てた。言葉にすれば五秒と掛からない。そこに至るまでは三時間じゃとても追いつかないのに。
どうにも理不尽な思いをしていると、鑑識の人が死体を掘り返し終わったような気配がしてきた。しかしまた不思議なことに、青いビニールシートに隠された庭の向こう側で空気がざわり、と音を立てた。なんだなんだ、と思う間もなくシートの仕切りをまくりあげて鑑識の人が少女を連れて出てきた。
連れて。
何かぼーっとした寝起きそのものの表情をした泥まみれの少女を背後に従え、彼は大人をからかうんじゃない、こういういたずらは二度とするな、命に関わることなんだぞ、というようなことを言ったような気がする。
少女はやっぱり白魚のようなと言っていいんじゃないかと思わせる指をしていた。




石油を掘り当てるほうがまだ現実味がある。
なんなんだこれは。まだ死体のほうが良かった。
庭を掘ったら生きた美少女とご対面。ありえません。何がなんだかわからないのは僕だって同じなのに、警察の方々は厳しいお叱りを与えてとっとと帰ってしまわれた。
何故僕が怒られる。草むしりをしていただけだったのに。
大体いたずらのわけが無い、あの娘はずっと以前から埋まっていたはずだ。僕がそこらじゅうをむしるまでは庭に掘り返した形跡など一切無かった。そう、僕がむしるまでは。
容疑者の証言は弁証能力に欠けるとしてあえなく否定されました。
哀しい気持ちになりながら警察を見送って玄関から戻ると、ついさっきまでそこに居たはずの泥だらけの少女はあっさりと姿を消していた。
夏の日差しのせいで白昼夢でも見たのか、と思わせるほどの鮮やかな消えっぷりだったが、彼女が実在した証拠として庭の真ん中にはカートゥーンみたいな人型らしき穴が開いていた。




これで話は終わり。期待を裏切るようで悪いけど、彼女を狙う悪の組織との対立も、家に居候してドタバタラブコメも何も無かった。
もちろんわけのわからないことは山ほど有る。少女は何故死んでいなかったのか、何故よりにもよって僕の家の庭に埋まっていたのか、一体いつから埋まっていたのか、消えた彼女はどこに行ったのか、そしてそもそも彼女は何者だったのか。考えたってわかるものでもないけど、楽しいから時々空想のネタにする。納得のいく説明が付いたら面白い。草むしりと大騒ぎと小言の対価にしたら上出来だろう。
だから今でもアレに心を奪われている。ヒマさえあれば考えている。自分で納得のいく説明が見つかるか、いつかそのことに飽きるまで。一度齧ったら徹底的に、それが僕の信条だから。
機会があればあの少女を探してみようか。非日常に片足を突っ込んだ出来事はそこにあるかもしれない。ないかもしれない。面白ければどっちでもかまわない。




そういう、少なくとも僕にとっては不思議な、一夏の出会いのはなし。
一目惚れにすらなりきれなかった、ほんの一瞬の出会いのはなし。