何で自分はこんなことをしているんだろう、と思うときがある。本来いるはずのない場所にいたり、やるはずもないことをやったり、いつもと違う時間帯に顔を出したりするときがそれだ。それは非日常に自分をおくことで知らず知らずのうちにしがらみに束縛されない自我をむき出しにしているからだろうか。
例えば旅に出るとき。それも一人旅の小旅行。見るもの聞くもの、肌で感じる全てが異なる雰囲気を持っている。非日常が新しい日常、日常がかつての非日常にすりかわらない程度の束の間に、自分の根源が目の前をちらつくのを見る。
「しかし、しょうもないこと考えてるな」
と、鼻でため息をつく。確かにそんなことを考えたところでどうなるものでもない。愚痴を言って問題が解決するなら専業主婦の長話はなくなるだろう。たぶん帰納法を使えば証明できるんだろうが、そこまでする気力はない。
意味のないことを考えてしまうのはその時間が意味のないものだからである。時間というものは実にイイ性格をしていて、楽しいときにはすぐに消え去り、重苦しい雰囲気の時にはにやにや笑っていつまでも居座り、忙しいときにはいつだって足りず、そして、することがないときにはなぜか有り余る。
この出来てしまった暇は潰そうと思っても容易には潰れない。何しろするべきことも出来ることもなくなっているから「暇」なのだ。だから仕方なくとりとめのないことを考えるしかない。
例えば、カップラーメンにお湯を注いでからの三分間。布団に入ってからの眠れない時間。引っかかってしまった信号待ち。切符を買うまでの順番待ち。運悪く手ぶらのときの電車。親しくもない知り合いとともに歩く道すがら。窓もなく外から鍵がかけられた四畳半の真ん中で立ち往生しているとき。
「どうにもならんわいなあ」
今の状況が?それとも今までの出来事を回想していることが?
「両方」
自問自答に短くケリをつけ、畳にごろりと床になる。床板剥がせば逃げられないだろうか、と一瞬考えてすぐその考えを捨てた。いくらなんでも筋金入りのコンクリを素手で崩すのはただの人間には無謀すぎる。それならまだしもドアをぶち破るほうが……
コンコン、と。ノックの音がする。
跳ね起きてドアの脇の壁にへばりつく。改めて観察するまでもなく重そうな鉄扉は不退転の決意に満ちて外界との境界線を守護していた。
どっちも五十歩百歩だな、とそれまでの思考に結論を下し、そろりと魚眼レンズを覗き込めば案の定あの阿呆の顔である。まあ何考えてるかわからないしあの格好だからむしろ変態と言った方が良いかも知れないが。
「起きたか?」
今の俺には遠すぎる十cmの向こう側から件の変態が聞いてくる。見えないのをいいことに思うさま首をかっきる仕草をしてみせてから、
「起きている」
とりあえず答えた。
「欲しいものはあるか?」
「あんたの命か自由が欲しいね」
こういう修羅場で正直なのが俺の取り柄である。この取り柄で人生ずいぶん損してると言われた事は結構あるが。でもまあ真っ先に本音をぶつけてみて出方を見る、と言うのも実際交渉術のひとつなのだから問題ないと思う。しかし、
「いいよ。俺の出す課題に答えられたら両方ともくれてやる」
この答えは予想外だった。いくら変態だからといってももう少し論理的な思考をして欲しい。
「そいつは願ったりだけど、こんなときにまで課題出す気かよ?」
「お前がこれを解ければ俺がこうしてる意味はなくなるからな。まあ免許皆伝ってやつだ」
「全然わからないんだが」
「それを考えるのも課題だ」
「だから結局何が課題なんだよ!」
それを聞いて、丸くゆがんだ視界の中で奴が異様に深く口をゆがめたのが見えた。カツン、と靴音を立てて一歩下がると、
「今まで教えたことを踏まえて」
優雅に裾をはためかせながら身を翻し、
「俺が何者なのか、当ててみろ」
芝居めいた仕草で丸い視界から消え去った。
しばし呆然とする。このごろはあまりに意味不明なことばかり起きる。なんでこんなことになったのか。発端はなんだったのか。俺は一体何をしているのか。
それでもとにかく「暇」ではなくなった。たった一つでも意味を持たされた時間なら、やることはある。埒は開いた。後は走るだけだ。もとよりそれしか出来ないのだから。
「やってやるよこんちきしょーが……」
鉄扉に拳と頭を押し付けてそう呻く。震える声とともに吐き出した向かう先のない憎悪は、広くもない部屋に混沌とした空気の渦を作った。
存在しない窓の外。中空に煌々と照り映えるは十六夜の月。この身に届かない光を浴びて、彼女は今もあの場所に、あの時と同じ様に佇んでいるだろうか――――。