オーディーン倒したところで終了。いや、良い。実に良い少年漫画。
特に無拍子が通用しなくて師匠の動きを次々に模倣していく場面が王道で大好きだ。
あんな豪華な中の人でよく一年も続いたものですわ。お疲れ様でした、原作も応援してるよー。

てゆーか間を空けずに深夜に再放送始めやがったよバカじゃねーの本当にDVD売る気あるのかよ!!大好きだッ!!

「シモン」という名の小さな螺旋が突き抜けた、暗く小さな閉じた世界。


広い世界へと飛び出した螺旋は、様々な人、様々な出来事と出逢った。


楽しい事、嬉しい事、悲しい事、切ない事。
折れそうになった事もあった、動かなくなった事もあった。


その度にその小さな螺旋は、一つずつだが確実に、風穴を開けて突破してきた。
大切な人をその螺旋で守り、強大な壁を突き破ってきたのだ。


そしていつしか、その螺旋は多くの想いと運命を巻き込んで、強く、大きく成長していった。


あの小さかった螺旋は今、天を突く程の巨大な螺旋となり、まだ見ぬ明日を掴むため大銀河に立ち上がる。


―――そう。
これは、自分の運命を知らなかった一人の男の人生の物語。
その男が自らの螺旋で突き破る「運命」の先に何があるのか。
全ての想いを束ねた螺旋でどんな景色を描くのか。
全てはすぐに明らかになる。
刮目し、その総身を以って螺旋の鼓動をしかと感じろ。



―――みんなの螺旋で描いた景色は、こんなにも素晴らしい―――


mixiトピック「27話感想」より

中島かずきの頭のドリルの回転速度を侮った。
ちょ、掘り過ぎ!!バックバック!!そのちょっと前が見たいんだってこっちは!


最終形態「天元突破グレンラガン」。俺の嫁は宇宙一スイング。ラゼンガンオーバロード。
銀河系を掴んでブーメラン、捏ねてまとめてビッグバン。最早イデオンにすら楽勝で勝てそうな勢いに笑うしかなく、「空色デイズ」のイントロに既にして我らが螺旋力は全開!宇宙創成のエネルギーを吸収して作り出されるドリルドリルドリル、砕けても砕けても砕けても砕けても砕けても砕けても砕けても砕けても!!
トドメのマトリョーシカアタックからのラガン・インパクトにこっちの熱血回路の基板が砕けて空中投影オーバーロード!!そうだ!!それが見たかった!!
この作品はいつだって、ありとあらゆる期待に応えてくれる!!




んで色々あって譲治声ロシウ吹いた
ギャグかと思えばつまり村長が本当にオヤジさんだったという状況証拠の一端なのか。
「20年も掛かった」だけだからもしかしたら20年以上経ってるかも知れないのね。そしたらリーロンがマジでバケモノ状態になっちゃうわけですが。


「俺を誰だと……いや、誰でもないか……」

ナレーターがシモンだったということに気付かされた瞬間に体に言いようの無い衝撃を受けた。
これは正真正銘、彼の物語だったのだと。
何一つ手に入れられなかった結末だったとしても、これこそが彼の望んだ結果なのだと。例えハッピーエンドと呼べなくても、これがシモンのたった一つの宇宙なのだと。


アバンに繋がらないのはまた別の可能性を選んだからか。大きすぎる螺旋力はスパイラルネメシスを引き寄せることを本能的に悟ったのか。
彼は穴掘りシモン。風穴開けて道を作るのが仕事。その道を通るのは、彼ではない。
彼の戦いは終わっても命は続く。過去と未来を捻り合わせて突き進んだその果てに。
ファンブックだとジーハ村を飛び出してグレン団に入ることを「高校デビュー」と表現していたわけだが、これはつまり就職失敗しちゃったことになるのか。(台無しだなぁ)



見終わって脱力空虚。胸に10倍風穴開けて去っていかれた気分。
でも、また同時に絶対的にこの魂に何かが刻まれたという感触も痛いほど感じている。
そもさん、それが何かと問われれば。とにかく疾走、いや、やはり「突破」か。「俺たちはどこまでだって行けるのだ」という闇雲な推進力を持ち続け、前へ。ただひたすらに前へ進むこと。停滞を抉り砕き、諦めを撃ち貫いて、失われたものと共にこれから生まれるものを導くこと。
それこそが天元突破。それこそがドリル。彼らが示してくれた、漢の魂の在り方。
だから私たちはその後に続こう。原始人レベルの文明から始まって、多元宇宙を破壊する事象地平の彼方へと飛翔した、シモンの突破力がつけてくれた道に。誰もが憧れる、「ついてこいよ」と語る背中だけは、「この」宇宙でも絶対に輝かしいものだから。




――――君の心にも、ドリルはあるか。

フィクションは現実逃避のためのツールで、現実から離れたら、きちんと触れた人間を現実に帰さないといけない。そこにしっかりとお土産を持たせて、出かける前よりほんのちょっとだけ成長させてくれる、そういうものだから。

『シモン』や『グレン団』の物語が、これからも続いたら、俺たちは現実に帰っていけないから。

物語はこれで終わりで、これがすべてなんだな、最後のCパートを見て、そう思いました。ああ、これでやっと終われる…って。Bパートのラストだけじゃ、終われなかったし、ただのハッピーエンドじゃ、『誰かの物語』っていう、とても小さなものになってしまったから。

グレンラガンという、『命』をテーマに描いた作品の終わりは、これでいいんだなとそう思いました。




ラストのシモン、かっこよかったなあ!!!!

カミナの親父とそっくり重なる。

カミナの親父が、カミナに道を指し示して。

そこからすべては始まった。

シモンが今度はその役回りになって、俺たちを現実の世界で「グレンラガンのように生きたい、どうすればいいだろう」という、心の道を指し示してくれている。シモンになって、カミナになって、カミナの親父になって、そうして命の道が、『螺旋道』が、ずっと大きく続いていく。そう、信じさせてくれる、そう、現実を生きていく、その理想的な見本を見せてくれました。

とってもいいお手前でした、見事な物語の作法でした、と、清々しい気持ちで終われました。

涙は26話の方が多かったけれど、泣くだけが感動じゃないから。泣くよりもっと、泣いてその場で気持ちがすべて解き放たれてしまうよりは、生き様を大きく変える、変えてくれる方が、素晴らしいことだから。


mixiトピック577

というわけで拙い文章力では駄文しか垂れ流せないので、これ以上無いほどに全力で頷ける竹箒日記の感想へ誘導ドーゾ。