「人の命は地球よりも重い」どこの誰がそんなことを言い出したのだろう。


起伏の続く坂の向こう側に、鉄格子にも似た校門が立っている。
僕の名前は友永和樹。『HIKARI』に創られたロボットだ。
僕の任務は、この私立群青学園に集められている
『ブレードチルドレン』と呼ばれる子供たちを監視すること。
そのために、今日から情報収集を開始する――――



「人殺しは許されないことだ」何故そんなことが言えるのだろう。



「だから聞いたんだ。
『なあ、一つ聞きたいんだけど――――どうして今すぐにでも死なないんだ?』
……って。そしたらあいつ、何て答えたと思う」
「……なんて、答えたの」
屋上で風に吹かれながら、ボーイッシュな少女が白い髪の少年に問い返す。
空を見上げて、少年――――黒須太一は静かに答えた。
「『僕は闇から生まれた者たちを闇から生まれた手で闇に返す。
  それが全て終わってから、僕は自身の頭を撃ち抜くさ。
  ……闇に帰るために』
 そう言い残して、あいつはどっかに行っちまったよ」
手にした機材を放り出して寝転がる。視線の先には墓標のようにそびえるアンテナ。
彼を救ってくれた少女が救いを求めて作り上げた、世界に思いを届かせるための――――
「がんばったつもりだったんだけどなぁ……やっぱ俺はだめかなぁ……」



それほどまでに――――人間は素晴らしいものだろうか?



両儀――――式」
その妙な名を自分のクラスに発見し、黒桐幹也は息を漏らした。
一見どこで苗字と名前を区切るのかすら分からないその名が、なぜか意識に引っ掛かった。
それはまるで、長年の探し物を探し当てたような、それでいて見つけたものが記憶とは異なる形をしていたような、はっきりとしない感覚だった。
「男だか女だかも判然としないもんなぁ……」
本人を一度は見てみよう、と結論して振り返ると、一人の少年と眼が合った。
左耳にピアス、長く伸ばしたもみあげの彼は、自分と同年代には見えないほどに大人びているように幹也の眼に映った。
だが、彼をそう見せている要因は、達観と言うよりもむしろ諦観。



(なんだこりゃ。呆れるほど害のなさそうな奴だな)
ここまで人畜無害そうな人間というのも逆に珍しいぞ、と鳴海歩は黒桐幹也への第一印象を定める。この掲示板の前にいる以上自分と同じ1−Dなのだろう。
何気なく歩は視線を流す。貼り出されたクラス名簿の前には自分と同じ立場の新入生達が鈴なりだ。少し離れた所で短い黒髪の少女とゆるくウェーブのかかった金髪の少女が1−Dの名簿を指差してきゃらきゃらと笑いあっている。
不意に、歩は一昔前に世界的に有名になったファンタジー小説の魔法使いの三人組を思い出した。金髪の少女がその中の紅一点に似ていたからだ。
ふうん、と心の中だけで呟いて歩は掲示板の前から歩き出す。特に感想は無い。
クラスメイトがどうであろうと自分には関係が無い。どのみち、自分に手に入れられる物など何一つ無いのだから。
かったるいから入学式はさぼって屋上で昼寝でもするか、と考えながら、歩は昇降口へと姿を消した。




「それならば何故……僕達は生まれてきたんだろうね?」



「さー今日から新学期だ!頑張るぞー!」
鞄を振り上げて掛け声を挙げながら、少女は起伏の続く坂道を歩き出す。左右にくくった髪の房を弾ませて桜舞う通学路を歩くその姿は、この世界のあらゆる苦しみや悲しみから最も遠いところにある。
定められた出会いに今しばらくの時を残して。塚本天満が幾重にも連なる坂を駆け抜ける。




全てはただ一夜の祭りのための祭りの日に。
絡み合った人の思いが織り成す群像劇が開かれた。
ここに記される物は二つ。
祭りの下準備に騒ぐ者達と、不確かで残酷な戯曲の粗筋。


語り部は自らの糸を切り、自身でネジを巻くと決めた自動人形(マリオネット)。


祭りが終わった時残っているのは、人か。機械か。人を超える運命の者達か。






春。僕達は出会った。




「い、息してない〜〜っ!?脈もない〜〜っ!?も、もしかして瞳孔も開いちゃってないこれ!?」
先程僕と曲がり角で正面衝突した少女が眼を丸くして悲鳴を挙げている。
……義体機能をチェック。激突の瞬間に頭部に衝撃が集中した模様。無機頭脳へのダメージは軽微。安全性確保のため義体制御システムをリブート中。人体模倣クラスタの反射起動により、人間で言うところの「気絶」が再現されている状態。システム復帰まで三十秒。
「どどど、どーしよどーしよ!?新学期早々とんでもないことしちゃったよ――!」
現状では人間への擬態が不完全と判断。人体模倣クラスタにタスク追加。心臓の鼓動と血流および呼吸動作の擬似的再現。エネルギーチューブに一定間隔で負荷をかけ、動力炉のサイレンサーの精度を下げる。胴部周り及び胸部周りアビオニクスの動作プログラム作成開始。
「こういうときは、こういうときは……そうだ!人工呼吸するんだ!
…………ってええ!?」
自らの言葉に驚いて、少女がこちらを振り向いた。その顔が紅潮し、体温が上昇、呼吸や脈拍の変化も見て取れる。混乱しているのか救急車を呼ぶという考えは思いつかないようだ。
と。少女の顔が無機頭脳の最重要記録のひとつにヒットした。塚本天満。施設に集められることの無かった、ブレードチルドレンの一人。
観察対象を認識し、能動的行動にリミッタが掛かった。彼女の言動を記録し研究するための「天満クラスタ」を生成、常時起動を開始する。
「えーと、こ、これは人助けなのよ!別にヨコシマな気持ちがあったりするわけじゃ……ないからねっ!」
地面に倒れた僕へと近づき、膝立ちになってこちらへ覆いかぶさってくる塚本天満。「気絶」再現終了。義体の機能は回復しているが、彼女の行動パターン観察のためあえて待機を選択。
その顔から観察できるのは照れ及び恥じらいの表情。人命救助目的とはいえ、異性の唇に触れるのはやはり抵抗があるのだろう。だがそれでもあえて人工呼吸を行うことを選んだ彼女は、極めて純粋な性格の持ち主であると判断できる。
観察している間にも塚本天満の顔がこちらの顔へと接近してきていた。その唇はすぼめられ、眼は引き結ばれている。

唇同士の接触まで残り5cm……4cm……3cm……
――――胴部周り及び胸部周りアビオニクスの動作プログラム作成終了。動作テスト自動実行。
ごふ、と音がして呼吸動作の再現が始まった。
「うわあ――――!!生き返った――――――――!?」
同時、塚本天満は叫びを上げて飛び退った。





死ななかったのが不思議だった。
パラシュートを開くのが遅すぎたせいで落下速度が完全に殺しきれなかった。運良く海に落ちたまでは良かったが、着水の衝撃は訓練の何十倍もキツく、完全に気を失った。
正直、そのまま死ぬことも想定の範囲内だった。手放す直前の最後の意識で、最後に見た海があまりにも綺麗で、それで十分すぎるほど意味があると考えていた。
なのに、僕は今生き延びて今ここにいる。
カビていない地面を踏んで、上と下にどこまでも広がる青の世界を歩いている。
あれだけ切望していたことが成し遂げられたというのに、何故か何の感情も浮かばない。
世界には天使があふれていた。当に失われたはずの技術と道具を使って、この広すぎる世界を行き来している。
ロボットは――――いない。
彼らにとって既に無用の長物となってしまったのか、この世界には僕の意思が通う物は存在していなかった。僕を肩に乗せて運んでくれる物は無い。
……おなかがすいた。
大地に打ち揚げられたポッドから這い出してこっち、まともに食事をしていない。
当てもなく歩き続け、幾重にも連なる坂を上り続けて――――僕はそこに辿りついた。
周囲を壁で囲われ、広場をその中心に抱えた四角い建造物。所々では坂の途中で見た、カビとは比べ物にならないくらい頑丈そうな植物が並び立ち、上から降る光を遮っている。
何のための場所か、と考える間もなく、どこからともなく現れた、天使でも猫でもない巨大な生物がこちらに因縁をつけてきた。
……そうか。ここは闘技場か?
まいったな、武器もなければ体に力も入らない。
唸り声を聞きながら尻尾が垂れるのを感じる。睨み返した視線の先に、集まってきた天使たちが遠巻きにこちらを見ているのが映る。
抗うのを止めて、力を抜こうとしたその時。温かな腕が体をさらっていくのを感じ、僕は上を見上げる。
僕を抱きしめる優しげな瞳の黒髪の天使と、巨大な生物を真っ向から睨みつける銀髪の……ロボット。


……わかったよ。楽。焔。
猫は死んだら、生まれ変わって天使になるんだ――――。




夏。君と僕は、語り合った。




「ん?」
「お?」
「あ」
校舎の裏手で、見つからないようにと液体燃料の補給をしていた僕は、いきなり二人もの人間に見つかった。
ヒゲを生やしてサングラスをかけた大柄な男と、金髪を逆立てた浅黒い肌の男。
……類似パターンを検索。発見。一般的に「不良」と呼ばれる分類(カテゴリ)の生徒と判断。対応行動検索…発見。実行。
僕は即座に両手を挙げると小刻みにジャンプジャンプ。続いて台詞を発声。
「もう持ってないですよー」
「いや、それは『ちょっと跳んでみいやコラ』と言われてからの台詞だな。
しかもその前に『財布出さんかいコラ』『ひいい、これだけですスイマセン』というやり取りがはさまれる」
「勉強になる。ありがとう」
「ていうかだな、別に俺らはカツアゲなんかしねーっての」

ボケとボケは時に波長が合って話が噛み合ってしまうことがある。この時のように。
こうして友永和樹と播磨拳児桜庭浩の三人は、余人には理解不可能な不可思議空間を作り出すこととなったのだ。


「……なんでこんなことになっちゃったんだろーなー」
沖合い遠くに見える海岸線を見つめ、曖昧な顔で笑う太一。
「泳げないんだったらコーチ役なんか買って出るなよな……」
その隣で半眼になって太一を睨みつける美琴。
気付けば二人は無人島の洞窟で二人きりになっていた。
(海水浴で遭難とは、洒落になっちゃうな)
どうやって帰ったものだろう、と考えを巡らせる美琴は、こちらを凝視する太一の視線に気がついた。
「……どこ見てんだよ」
「いや、最後に見た時から随分成長したなと思って」
「だからどこを見てんだよ!?」
大慌てで胸を隠す美琴に、太一は笑って、
「……どう?少しは楽しくやってんのかな」
「……」
何気なさを装ったその問いに、絶句する。
楽しかった。四人でずっと過ごしてきた、あの一年、この四ヶ月足らず。
幸せだった。施設を離れさせられ、普通の生活を続けたこの十一年近く。
あれからずっと、あの馬鹿がいつも傍にいたような気がする。
それでも。
「……あたしはブレードチルドレンだぜ?楽しかったらどうだっていうんだか。
どうせ遠からず無くなっちゃうんだから……」
「諦めるなよ」
思考に単純な言葉が割り込んでくる。
弾かれたように顔を上げれば、
「『周防。お前はそんなに諦めのいい女じゃないだろう!』
……って言うと思うぜ?花井だったら」
いつになく真剣な表情で、彼女のもう一人の幼馴染はそう言った。



「無理だろ。どう考えても」
「でも……もう始めちゃってますよ……」
中華料理屋の厨房で、歩と遥は途方に暮れていた。
今日はただでさえフロアも厨房も店員が足りていないというのに、奥さんが産気づいたとかで店長が店を空けている。
結果――――バイトでしかない歩と遥しかいない状況で、予約していた客を相手にすることになったのだ。
駄目押しに予約の客は八人全員中国人、喋った言葉で聞き取れたのはニイハオが精一杯。事情を説明してお帰りいただくという手はこの時点で断たれた。
退路なし。
「じゃあ、私が厨房に入ります」
「あんたが?」
「これでも料理は得意なんですよ。何とかなると思います。
じゃあ、鳴海さんはオーダーをお願いしますね」
そう言って遥はエプロンを締めると、小さくガッツポーズをして厨房へと消えていった。

……遥は嘘を吐いた。
いや、事実を意図的に話さなかっただけか。
彼女はその気になれば中国語程度、広東語から四川なまりまで話す事は出来た。
しかし、彼らを帰してしまうよりは、きちんと接客をしたい、と「状況判断クラスタ」は解を出していた。
彼らの喜ぶ顔を見たい、と彼女は判断したのだ。
それは本来人間のために作られたロボットであるが故か。
違う、と遥は思う。
(少なくとも、違うと思いたい)
その答えが、どんな理論によって齎されたものか、自分ですら分からないとしても。

「……仕方ない。やるか」
鼻でため息して、歩は伝票を拾い上げる。厨房で腕まくりしている遥に向き直ると、
「おい、あんた」
「?」
「中華鍋は重いぞ。疲れたらすぐ代われ。
俺も料理は一通り出来るから」
言って、すっかり盛り上がっているテーブルにオーダーを取りに行った。
その後ろ姿を見送ると、遥は少しだけ微笑んだ。




秋。少しづつ歯車がずれていた。




「――――っ、せんぱいのあほぉっ!!!」
「ギャー!!ミミガ――――ッ!?」
携帯から顔を背け、耳を押さえて河川敷でのた打ち回る太一。しばしして、
「いやしかししょうがないだろうミキミキ隊員。あんな俺よりアホな手段を使ってくるとは思わなかった」
鳴海弟を見誤っていた。……それが過大か過小かは今ひとつ判然としないのだが。
「今のあいつは随分と切れる。下手をすれば足元をすくわれるぞ」
「むー、仕方ないなあ。じゃあ役立たずのせんぱいは結崎先輩を捕まえておいてください。弟さんは私が何とかしますから。
……てゆーか、ぶっちゃけその方がやる気出るでしょ?」
「まあ、どちらかと言えば無愛想かつ根暗な男の後輩を追い掛け回して屈辱を晴らすよりはおさげで時々毒を吐く天然娘と追いかけっこをする方がモチベーションが上がると言わざるを得ないですな」
「じゃあさっさとそうしてください。今度失敗したら耳掻きしますから。泣くまで」
「さーいえっさー!」
直立不動で敬礼。通話を切る。
悪寒のぶり返してきた右耳をくにくに揉みながら、太一はひよのの降りるであろう駅へと向かう。
歩に自転車を奪われたため徒歩で。
「…………ちくせう」


「黒桐君を待っているのかい?」
「別に、彼は関係ありません」
「……そうか。君と唯一一緒に居ることがある相手だから、勘違いをしてしまったかな。
 彼は優しいからね。優しすぎる。だから誰かを悲しませることが出来なくて、泣くことが出来ない。
 辛い時に泣けないことほど、哀しいことは無いよ」
勝手なことを喋る相手に、式は反感を感じた。その感情が気付かぬうちに表情に表れたのか――――それこそ、彼女には許せないことだったが――――相手は、再び言葉を紡いだ。
「いや、勘違いじゃなかったかな。君は自分でも分かっていないんだ。だから苛立っている。
 ……だからって、八つ当たりは良くないんじゃないかな。流石に四回はやりすぎだ」
「――――え?」
式が顔を上げたときには、彼は既に昇降口の外。振り返り、傘の陰に隠れた口から、
「じゃあね。良い死を。両儀式君」
カノン・ヒルベルトは、そう言った。




冬。全ては壊れた。
繰り返されるのは鳴海歩とブレードチルドレンを巡る不可思議なゲーム。
そしてもう一つ、夜の街で頻発する――――




「バラバラ殺人ん!?」
「うん。曰く、一人は手足を根元から切ってほったらかし。曰く、一人は脳天から股間にかけて唐竹割り。どれもこれも人間業とは思えないほどの出鱈目なやり口で、現場は今でも封鎖が解けない程血みどろだったって」
ひょうひょうと顔に似合わない話題を語る幹也に友貴はイヤな顔を向ける。右手には開けたばかりのトマトジュース缶。今日に限って余計なヘルシー指向を目指した自分が憎らしくてたまらない。
視界の端では今の話が耳に入っていないのか、ラバがカレーパンをむさぼっている。
(何個買ったんだあいつ、それで既に三袋目だぞ)
「わっかんないなー、何考えてそんなことやらかしたんだか。
異常者の理解をしようっていうのが無駄なのかもしんないけどさ」
半眼の視線を桜庭に落としたまま、友貴は既に飲む気の失せたトマトジュースの缶をぱたりと倒す。とろとろと屋上に真紅の水溜りが広がった。
「太一。お前はどう思う?」
幹也は。
陽だまりの中、頭の後ろで手を組んで寝そべる太一の瞳が、友貴の問いを受けて酷く恐ろしい物に変わるのを見た。
「……自分でも分かってないんじゃないかな。
自分が何をしたのか。自分が何をしたいのか。
自分がしていることは本当に自分の意思なのか。自分の望みが本当に自分の物なのか。
自分が――――何なのか」
眩しそうにひそめる瞳は、ここより遥か遠く。今はもはやないどこかを見つめて――――
「……晶ちゃん。ちゃんと止めてくれよ――――」



雨音が続いていく。静寂には程遠いのに、沈黙を破ることは無い。
いつか見た景色と同じ、たった二人のバス停で。友永和樹は塚本天満と共にいる。
「……わたしなんかさー、どんくさいから、もし……会っちゃったら、真っ先に殺されちゃうだろね」
――――大丈夫だよ。その時は、僕が守るから――――
彼女の呟きに返すべき最適な返答は、僕の知識の中にある。
だが、それを口に出すことは出来ない。
僕はブレードチルドレンを観察するためだけに創られたロボットだ。どれだけ人間の振りをしようと、観察対象の行動に手出しをすることは許されていない。
だからもし、この殺人鬼がブレードチルドレンの一人ならば、その現場に居合わせたとしても、僕はその凶行を阻止することは出来ない。そもそも――――僕の義体には、それほどの能力は与えられてはいないのだ。
そんな僕が、どうしてそんな無責任な言葉を口に出来るだろう――――
「……ごめんね、変なこと言っちゃって。じゃあ和樹君、また明日、学校でね」
そう弱々しく笑って、塚本さんはバス停を去っていく。
完全には止んでいない雨の中を走り抜けて、すぐに視界から消える。
……去り際の笑みが、どうしようもなく儚げに見えたのはどうしてか。

会話記録を何度もリピートする。
塚本天満への対人反応クラスタに再生した情報を全て入力する。
心理推測クラスタを派生させて解を求める。

……何度繰り返しても、解は一つだった。
彼女は、その無責任な言葉こそを、ずっと欲しがっていたのだと――――







そして世界は崩れていく。
少しづつ。気付かないうちに。




「……お前に、私の何が理解できるんだ」 両儀式は、言った。
孤立。
孤独とは異なるあり方。
だがそのカラに罅を入れれば、
出来上がるのは二つの孤独。


「あれ……なんで笑ってるんだろ……あたし……
こんな終わり方……やだな……」 周防美琴は、泣いた。
自身を偽ってまで手に入れようとした甘い果実は
手を伸ばす前に失われた。
だが……だからといってその果実が酸っぱいとは言わせない。誰にも。


「僕達は……生まれてきてはいけなかった」 カノン・ヒルベルトは、悔いた。
大切な物を傷付けてしまうから。
そう思えるほどに大切な物も、
生まれてこなければ出会えなかったのに。


「人を好きになる……って、どういうことでしょう……」 塚本八雲は呟く。
人間。
醜いもの。
それを誰よりも知っていたはずの少女は、
誰よりも人を愛そうとして。


「私たちの手は、とっくに血で塗れてるんです」 山辺美希が自嘲する。
汚れたからこそ尊いと思えるものもある。
傷の痛みは負った者にしか理解できないように。
幸せになれない理由など、誰にも無い。


「だーいじょーぶ!おねえちゃんにまかせんしゃい!」 塚本天満は断言する。
彼女は誰かを助けようとして、痛烈に失敗する。
勘違いをし、落ち込んで、それでもなお。
失敗を、恐れない。


「たまには本気になるのも、ありだよな?」 黒須太一は笑った。
誰もそれを信じなかった。
それが彼の作り上げた、幸せのあり方だった。


木漏れ日の下の、
夢のような日々。
きっと言える。
あなたのおかげで、幸せだったと。


「止めてやるよ。あんたが背を向けた未来、ちゃんと見せてやる」





ぼくらは、「人間」でいられるだろうか――――





cross over of


Hello world!
School Rumble
cross†channel
スパイラル〜推理の絆〜
空の境界
猫の地球儀


titel is ……

A school wars code "Artificial Hope Cradle"



「これは?」
「太一を助ける。手伝って……くれるんでしょう?」
高野さんが開けたロッカーからは、銃器がゴロゴロと転がり出てくる。
大小様々なハンドガン。中距離制圧用サブマシンガン。手榴弾が何ダースか、対人用クレイモアが計三個。コンバットナイフ、ピアノ線じみたワイヤー、クロスボウらしきもの、さらに非殺傷兵器として麻酔銃にスタングレネード、スタンガン。
どんな詰め方をしていたものか、一見してロッカーの体積より多そうな量だ。
「高野さんは……何でこんな物を?」
「太一が、辛そうにしていたから。そろそろこんなことになるんじゃないかって思ってた。
だから、お膳立てをしてあげたの。カノン・ヒルベルトが動きやすいように。
それを正面から叩き潰せるように」
決意を秘めた瞳が、暗闇の中で危険な色に輝く。
「太一を殺させたりはしない。太一は、太一でなくなったりはしない。
もしそうなった時は……私が止めると約束した」
驚きの感情が無機頭脳を支配する。彼女は今、カノンを名指しした。つまりそれは。
「ブレード・チルドレンの運命なんかに太一は渡さない」
彼女は全てを知っているのだ。
高野さんはさらにもう一つのロッカーに歩み寄る。それは明らかに彼女の物ではないはずだが、鍵を少々弄っただけでいとも簡単に開けてしまう。
そのロッカーから掴み出した物を、高野さんはこちらに放り投げる。
「借りましょう。それを両儀式に渡して。この学園にいるブレード・チルドレンは、おそらく全員このゲームに参加しているはずだから」
受け取ったそれは一振りの日本刀だった。本当になんでこんな物が、と取り出されたロッカーの名札を確認して納得する。記録の中にその名前があった。
ああ……これが噂の妖刀ハラキリブレードか。


踏み込みは神速、斬撃は閃光。
それは目にも留まらぬ速さではない。眼に映りすらしない疾さである。
銃器において必殺のはずの間合いさえただの一踏みで零にして、両儀織はカノンに肉迫する。
だがしかし。視認することなど不可能なその白刃を、カノン・ヒルベルトはあっさりとかわしてのける。
彼の戦闘反射は今だ健在だ。剣に先行して放たれる殺気を読むカノンには、不意討ちが不意討ちに成り得ない。
動じず振り下ろした刃を返す刀で逆袈裟に斬り上げる織。
それを右手の拳銃で受けるカノン。
刀身と銃身が噛み合い、火花を散らす。同時、残された左手の拳銃が織の胸に押し付けられ、


発砲。


銃声が響く時には既に織はそこにいない。いかなる歩法か、刹那にすら届かない空白の時間に、彼はカノンの背後へと回りこんでいた。
カノンが振り向きざまに右の拳銃を撃つ。織が刀を引き戻し間合いを詰める。
三度(みたび)の斬撃をカノンは身を引いてかわし、左の銃を織の頭部に照準、それを織は剣先で払い除け柄頭を水月に叩き込む、その前に右の銃が織の腕を殴りつけ、怯む織をカノンは撃ち、かわし、薙ぎ、受け、銃声打撃擦過斬撃打撃銃声銃声斬撃――――

人の目には映りこみすらしない攻防の一つ一つを友永和樹は追っている。
カノンの動きの全てを余すところなく記録し、保存し、パターン別に分類して再編成。動きの統計学的偏差を固有の癖として誤差修正。大筋のフローチャートをファジイ理論に基づき作成、それに対抗するための行動を模索。算出。その動きに対応するために義体を調整。「人体模倣クラスタ」の占有率を義体機能を損なわない限界までカット。
エラー。既にクラスタ義体の機能中枢を占めている。タスク終了は不可能。
(……なら、このままやるだけだ)
百分の一秒ごとに入力され続ける膨大な情報処理に無機頭脳が悲鳴を上げる。HIKARIの放ったウィルス処理に演算領域を大分持っていかれているにもかかわらず出鱈目な情報処理を強行する代償だ。いつフリーズしたとしてもおかしくはない、本来ならアラートは鳴りっ放しの筈だ。無論そんなものはとっくの昔に停めてしまったが。
(そうでもしなければ、守れないものがある)
加熱する思考の一端がそんな言葉を紡いだ時、待ち望んでいたプログラムの完成音が耳の奥で響き渡った。
交戦開始から25.37秒後だった。
「織さん!下がって!」
和樹の叫びが発せられたのは、死神達の舞踏が一瞬止まったまさにその時。
織は肩口まで水平に持ち上げた刀を押し込もうと。
カノンは十字に重ねた拳銃でそれを押し返そうと。
鎬を削る力比べの形が出来上がった時だった。
織はやはり一瞬たりと躊躇せず、刀を引いて真後ろへと跳躍する。
何発か銃弾を受けているなどと、誰も信じられない程の鋭さで。
バランスを崩してつんのめるカノンは、それでもなお両手の二挺拳銃で織を狙い――――
急速にその向かう先を変え、飛来したナイフを叩き落した。
振り向くカノンの視線の先には、猫のように瞳を光らせる太一の姿。
顔を歪めて銃口を向けるカノンに、
「ダンスの相手は俺じゃないだろ?」
親指を向ける、彼の背後には。
観察者(ウォッチャー)から守護者(セイバー)へ変わることを望んだ、「一人」の男が立っていた。


右手には純子さんのシグ・ザウエル。
真実を求める人間達の足掻く力の象徴。
左手には高野さんのベレッタ。
真実を知った人間達の共に居たいという願いの象徴。
弾丸は全て麻酔弾。その重みを確かめて、走り出す。
速度は織さんには遠く及ばない。だが、何も問題はない。
必要な動きが、必要な時に、必要なだけ出来れば、それでいいのだ。
「ちぃっ……!」
舌を鳴らしてカノンが右の銃を発砲。ほんの僅かな時間差を付けて左手から二連射。
放たれた合計三発の銃弾は、


ただの一発も、和樹に命中しなかった。


「な……に!?」
カノンの顔を驚愕が彩る。
翼ある銃(ガン・ウィズ・ウイング)とすら渾名される彼の本気の射撃が三度も連続して標的を捉えないなどと。
「信じられる……ものかっ!」
発砲。発砲。発砲。発砲。フルオートで撒き散らされる銃弾の悉くが、一撃必殺の破壊を齎す死の使い。完璧な照準を行ったと確信して放ったカートリッジ一ケース分の弾丸は、
またしても、和樹の脇を行き過ぎる。
「――――っ!」
ここに来て初めて。カノンの瞳に恐怖が浮かんだ。


そもそも、発射された弾丸を回避するなどということは「ヒト」には不可能である。
身体能力を人間を再現することに特化された――――つまり、ヒトの模倣として作られた和樹にも、それは当てはまる。
しかし。10m以内の近距離でなら、放たれた後は軌道を変更することも出来ず直進するのみの弾丸は、発射地点と発射速度を知りさえすれば、理論的には発射後の存在位置を把握することが可能なのだ。ならば、銃弾の存在しない位置へと移動すれば、射撃を受けることはない。
――――もちろん、夢物語だ。ヒトにはそれだけの複雑な計算を一瞬でこなすことなど出来はしないし、知覚すら不可能な速度で位置を変える銃弾の存在を把握することも出来ない。発射地点も発射速度も許容できる誤差範囲内で計測することなど無理の一言。
だが、和樹にだけはそれを可能とする要因があった。
無機頭脳。量子コンピュータに限りなく近づいたとすら言える演算速度を誇る彼の頭脳は、カノンの射撃のありとあらゆる要素を計測し、得たデータから統計学的に最も被弾率の低い空間へと彼の体を運ぶ。
予測。計算。着弾可能性のある空間の検出。今まで記録したカノンの動きを元として、それを掻い潜る動きを導き出す。
織が稼いだ30秒足らずの間に即興で組み上げたプログラムは、現在進行形で交戦情報を加えて微調整を続けられている。
つまり……戦えば戦うだけ、和樹はカノンの攻撃を回避する確率が上がっていくということだ。
だが、その情報処理による無機頭脳への負荷もまた、戦えば戦うだけ上昇していく。


無機頭脳強制停止まで残り九分五十五秒。それまでにカノンに一撃でも当てられれば、僕達の勝ちだ。
……カーテンフォールは遠く。幕間劇までにはさして余裕は残っていない。






首筋に受けた電磁掌底で意識を断ち切られたカノンを縛り上げ、ひとまず危機的状況は乗り切った。しかし、おそらく遥は戦力を増強させて再度攻撃を仕掛けてくる。
さて。この状況を切り抜けるには、出来る限り全員に正しい状況認識をしてもらう必要があるだろう。
「本当のことを言うと、僕は実はロボットなんだ」
「……いや、こんな時にまで冗談言ってる場合じゃないだろ」
「確かに前にロボットみたいって言ったことはあったけど、そんなに気にしてたの……?」
やはりすぐには信じてもらえない。ここまでは予想の範囲内だ。
このような場合の対処法……過去の前例及び情報からの検索……終了。
効果等を考慮して最も有効性の高いものを選択。実行。
僕はおもむろに両手を耳の辺りに添える。
「?」
「?」
不思議そうに見つめるみんなの前で、僕はその両手に力を込め、
思い切り自身の頭部を捻り引き抜いて生首を胴体からもぎ離した。
『わーッわーッわーッッッ!!』
「これで信じてもらえるかな」
高々と差し上げた僕の生首と胴体の間には血管の代わりに電源ケーブルや動力伝達用パイプ等が何本も渡っている。それ以前にこのような状態で生きていられる人間はいない。おそらく僕がロボットであることのこれ以上無い証明になるだろう。
「わかったよ!わかったから元に戻せ早く!マジで怖ぇよ!」
「いや、今の僕は頭部から発せられる情報を伝達するコードを外してしまっているから首から下が動かない。自力で元に戻すことは不可能だ。
 播磨君、コードを接続し直して首を元通りはめてくれないか」
「ものすっげー不気味だ……」
『恐怖』の表情を浮かべながらも差し上げられたままの腕から首を取り、胴体へと捻じ込んでくる播磨君。このような状態でも比較的錯乱が小さくて済んでいるその精神力は驚嘆に値すべきと『状況把握クラスタ』が彼に対しての評価を設定しなおした。
その後方でざわめくみんなの中、ただ一人表情をぴくりとも崩していない高野さん。彼女にも正体を明かしてはいなかったはずなのだが。 
『状況把握クラスタ』が小さなエラーを返した。




「ブレードチルドレンの潰し合いが失敗したと分かれば、遥は自ら手を下しに出てくるはずだ。
 今度こそ、誰一人逃がさないかたちで」
和樹の言葉を全員が黙って聞いている。
「カノン・ヒルベルトが動き出す直前に、僕はHIKARIという僕を作り出したコンピュータから指令を受けた。彼と協力してブレードチルドレンを殲滅しろ、とね。
 それを拒否したらウイルスを送り込まれた。ハッキングして僕を操ろうとしたんだ。
 ただ、以前鳴海君と行動していた時にハッカーの真似事をしたことがあって……」
「ああ、あの爆弾騒ぎの」
ひよのの合いの手にうなずきを返し、
「その時に作ったファイアウォールを無機頭脳に展開させておいたおかげで支配されるのは何とか免れた。……でも、遥にはそれが無かった」
一瞬、悲痛な沈黙が落ちる。
「今の遥は完全にHIKARIに支配されている。ただの操り人形じゃなく、今までの人格を残したままHIKARIのために働くように作り変えられているんだ。
つまり……僕たちと重ねた思い出を持ちながら、人間を抹殺し、ブレードチルドレンを殲滅し、僕たちを皆殺しにしようと考える人格に」
「ひどい……」
天満が漏らしたその言葉は、その場にいた全員の心情に等しかった。
「でも……信じて欲しい」
和樹は言った。
「僕が何とかする。誰も死なせない。遥も助け出す。このロボット騒ぎもすぐに収まってめでたしめでたしで、明日からはいつもと同じ日々がやってくる。そうしてみせる。
だから――――僕に力を貸して欲しい」
初めて、与えられたデータベースから言葉を捜すのではなく、自身の経験からたどたどしく言葉を紡ぎだして、懸命に頼みを口にした。




中距離制圧用自動小銃「雷閃」を構えた少女型ロボット――基本フレームは友永遥のものと同一であるため、和樹は「量産型ハルカ」と呼んでいた――が二人一組(ツーマンセル)で廊下を進んでくる。全部で三組、総計六体。
当然校内に侵入した戦力はこれで全てではあるまい。だがそっちはそっちで個別に対応してもらうしかない。こちらはどうにも手が足りないのだから――!
「全く、猫の手も借りたいってのはこういうことかね。八雲ちゃんに懐いてた黒猫が恩返ししてくれないもんか。
両儀、お前は動くな。カノンとやりあった時の疲れがまだ抜けてないんだろ」
「舐めてくれるな、あんなものどうって事は無い。第一タマは直撃しちゃいないんだ」
「弾丸を無理に回避するなんてことして無事なわけがあるか。どんな体術だか知らないがあれは傍目にも長期戦で使えるものじゃないよ。切り札は取っとく、これは常識だ」
「ならお前だけでやるっていうのか――」
織が言いかけるのを遮って太一が前に出る。懐からナイフを一本、二本、三本四本五本六本、まるで魔法の如く取り出しながら、
「子供の頃からこういうのが得意でさ。人間と同じカタチをしてるなら、同じような構造をしてるだろ。
 だったら同じように壊せるはずだ。……少し硬いかも知れないけど」
窓を開け、廊下の外へと飛び出した。




「ひゃぁーあー!?」
チュチュチュチュイン、と眼前で弾ける火花に塚本天満が悲鳴を上げる。
「塚本!何やってんだ早く来いっ!」
播磨拳児がその襟首を引っ張って廊下の角を曲がる。同時、その角から手首だけ出した高野晶が自動拳銃をフルオート射撃。マガジン一つを空にしてすぐさま引っ込む。
対する量産型ハルカ四体は、一瞬身をかわしただけですぐさま進軍を再開した。
一糸乱れぬ足取りで歩みを進め、目標が姿を消した曲がり角を曲がり――
先を行く二体が転倒した。
「!?」
咄嗟に身構える後続の二体。だが既に遅かった。
飛来した手榴弾が右の一体の頭部に激突し、次の瞬間には爆風を撒き散らした。


「……電源コード足払い応用編、意外と上手く行きましたね」
山辺美希の仕掛けたトラップで動きが止まった瞬間を狙って晶が手榴弾を投擲する。単純な作戦だが存外に成功したようだった。しかし。
「……上手く行っても効果があるとは限らないのよね」
爆風の晴れないうちに煙を貫いて飛び出す影。影。
二体の量産型ハルカが戦闘機動で突っ込んできた。雷閃は既に手放している。おそらく爆発によるフレームの歪みを気にしたのだろうか。
微かに時間差をつけて殴りかかってくるハルカに向かい、晶は懐中からスタンガンを取り出した。
一人目を相手にしていれば続く二人目に殴り倒される、そんなタイミングで打ち掛かってくるハルカ達。だが晶は一人目の首筋にスタンガンを叩き込んで戦闘不能にすると、その体を盾にして二体目の移動先へと放り出した。外見上は瓜二つの人形同士が激突し、転がる。
二人目が起き上がらないうちにその首筋にもスタンガンを叩き込めば、それで終わりだった。
「な……何で一般人なのにそんなに手馴れてるんですか!?」
茶道部だからね」
呆然とした美希の問いかけに韜晦しておいて、晶が踵を返したそのとき。
もう一つの影が二人の間をすり抜けて走った。
「しまっ……まだ!」
「行ったよ!誰か止めて!」
美希と晶が走り出す。だが間に合わない。
棒立ちになっている非戦闘要員までの距離を一気に走り抜けたハルカはその手を手刀に形作り、最も手近にいた天満目掛けて――
「オラァァァァッ!!」
ゴガッ!
鈍い音がした。
ハルカの突進先に割り込んだ播磨がそのままハルカを殴り飛ばしたのだ。
吹き飛んで壁に叩きつけられたハルカに駆け寄り、なおも殴りつける。
「っテメェこの!この!この!」
殴って、殴って、襟首を捻り上げて引き寄せて、
見てしまった。
おそらくは友永遥と全く同じように作られていたであろうその顔を。いつかどこかで見たことがあったかも知れない顔だったものを。至近距離で手榴弾の爆炎を受け、擬態用の生体皮膚が焼け崩れた少女の顔を――――!
「…………ッ!」
腕が止まった。
だから、まだ動くことの出来たハルカはその隙に播磨の喉を絞め上げた。
「グ……ア!」
焼け爛れ、メタルフレームが覗くその顔の中で、瞳だけは無表情のままの少女が、自分の首を絞めている。
播磨はそのことにどうしようもない恐怖を感じた。
「やめて!やめてよ遥!こんなこと!」
八雲がハルカに取りすがる。だが当然、彼女の親友の姿を模しただけの人形は動きを止めようとはしなかった。
「遥……!」
「こいつは遥じゃない」
銃声。
ハルカの腕から力が抜けた。
駆けつけた晶がハルカの頭部に銃口を押し当てて引き金を引いたのだ。
荒い息を吐きながら、播磨は晶を見る。
その瞳は無表情だ。
播磨は――
「それで正しいよ播磨君」
晶の声に、播磨の肩が跳ね上がる。
「躊躇いを感じる。恐怖を感じる。争うことに対して心を動かす。
 ……それが、人間としては正しい心のあり方だよ」
私は、そうではないけれど。口には出されなかった言葉を播磨は聞いた。
そんな気がしたから、
「……悪ぃ」
と播磨は言った。
謝ることじゃないよ、と晶は答えた。
『……は、は、はれるでしょう、あしたのてんきは、あ、あした』
壊れたラジオのような声がした。
振り返れば、八雲の腕の中から逃げ出した伊織がスタンガンを喰らって崩れ落ちた二体のハルカを引っかいている。
その二体のハルカの口から全く同じ言葉が、
『あ、あー、……暴走ロボットに追われているんだったら、助けてあげられるかも知れないよ』
黒猫の視線と共に流れ出る。




「伊織。……いや、幽と呼んだ方が良いのかな」
『どちらでも構わない。ただ、天使にもらった名前の方が僕は気に入っている』
量産型ハルカの口を借りて人間の言葉を話す伊織。そうした異様な存在にも臆することなく、晶は問いを投げかける。
「それじゃあ伊織。……あなた、ロボットが動かせるのよね」
『ご覧の通り』
「どの程度?」
『少なくとも、野良の状態でいるよりは効率的に。一対一なら負けないくらいには』
「じゃあ、そのレベルの精度で同時に何体まで動かせる?」
問われ、伊織は絶句した。
同時に数体のロボットを動かすこと自体はさほど難しいことではない。それこそ子猫の頃でもやろうと思えば十数体を一列行進させるぐらいのことは容易く出来たことだ。しかし、戦闘機動を同時に行うなど、どれだけ難易度が跳ね上がることか――――


 遠い記憶。双子の巨漢ロボットを従えた、歴代最強のスパイラルダイバー。
 多爾袞(ドルゴン)の称号すら勝ち取ったくせにこの僕よりも弱かったあいつ。
 一番僕に似ていたくせに、絶対に僕とは相容れなかった、白い毛並みの猫の姿――


『……三体までなら』
 幾分かの沈黙の後、伊織は答えた。晶はそれに頷く。
「わかった。場合によっては作戦に組み込ませてもらうから。
 ……信じていい?」
『ヤクモを護るためなら』
力強く、伊織は断言する。
そうとも。あいつに出来たことが、僕に出来ない訳は無い。
そうだろ?君よりきっと上手くやって見せるさ。
(猫は一宿一飯の恩義を忘れない。来てみろよ天使に楯突く心も持たない野良ロボット共。
 第十六代スカイウォーカー幽、天使ヤクモに仇為す者の相手になろう)




「こちら群青学園放送部――ただいまみんなして、お人形さんたちとの語らいの真っ最中!
 言葉の代わりに銃弾を用いるこの弁論、テーマは『人間の存在意義』となっております。
 なんともイイ感じに青春真っ只中の青臭いテーマだと思いませんか、と。
 とりあえずつかみはこんな感じでどうですかね鳴海さん」
「ああ良いんじゃないのか。どうでも」
つかの間の安全地帯となった屋上でいつも通りの漫才を繰り広げながら、歩とひよのは器材を運んで右往左往している。
目的は展開された電波妨害を突破して救援を要請すること。そのためにこの作りかけのアンテナから超々大出力のラジオ放送を発信するのだ。これならば万が一SOS内容が信頼されなくとも、電波法違反でサイバーポリスが駆けつける大騒ぎになる。
さらに並行してHIKARIへの反撃を開始する。
HIKARIサーバの指示を受けるだけでなく、報告用のポートを備えた無機頭脳を持つ遥を捕獲したことにより、和樹が直接HIKARIをハッキングすることが可能になったのだ。
自身の動力部であるコアを引き抜き、アンテナと発電機に直結する和樹。
HIKARIへの対抗手段は論理爆弾。報告用のコンパクトなデータしか受け取ったことの無い彼女には、生の「人間の感情」は処理も理解も不可能なロジックボムとして機能する。
つまり、この一年で積み重ねてきた和樹の学園生活の記憶全てを、未処理のままHIKARIに対して送りつけるのだ――
「……兄さん」
 ウィルスを除去され、正気に戻った遥が目を開ける。
「すぐに終わる。遥は心配しないでまだ休んでいるんだ」
「私の記憶も、使ってください」
 義体機能が回復しきっていないまま、それでも遥は立ち上がる。
「大切な人が出来ました。その人がそばにいてくれました。
 だから、私は幸せだったんです。それを壊されることは許せないんです」
「……うん。……僕もだよ」
和樹は遥に手を伸ばす。
遥も和樹に手を伸ばした。
触れ合ったその掌から記憶の奔流が流れ込み混ざり合って、天を指す鉄塔へと流れ出していく――――




月光に照らされた屋上から、電波に乗せて放たれていく想い。
和樹と遥、二人分の、
論理的ではない、
理性でも推し量れない、
『感情』と呼ばれるもので彩られた、
学友達と結んだ絆の記憶が――――



coming soon!?