OPが何もかも間違っている!!(笑)
確かにいきなり宇宙だった時点で嫌な予感はしてたんだ。コミックス巻末のウソ予告じゃないんだからさ。
原作の良いテンポが減殺されているのが惜しい。「鬼丸流葬兵術」とかさ。進行するに連れて良くなっていくといいんだが。
ちゃんと吐いてくれたので結構満足(笑)。しかしあの手品の腕前、下手したら辻より巧いのでは。

ハルヒ亡き今最高の原作付きアニメ。作画に後光が。
兵士の顔が濃すぎるほどに書き込まれた戦場描写は圧巻。我がツボの一つ「同時多面展開する戦場」でオボロがダッシュ斬りするわクロウがバーサークするわカルラがひぐらしモードになるわベナウィが速駆けするわと異常なほどの濃度。
後半の展開もまたツボの一つ「起死回生の一手」でオボロが乱舞するわトウカがプリキュアダッシュで見参するわ(背景がグルグル回りながら突っ込んでくるアレです)と、今回剣士系優遇されてるな!この二つのシーンは何度も見返してしまったよ、早回しの時代劇みたいだった。
原作の頃から思っていたけどハクオロ強すぎるねえ。

はいはいハリポタハリポタ(略)
Fateの後番組だからなんかついでに見てみたんだが、ちっともツボに入らないなあ。
平民の扱いが酷すぎるし。なんだここはフォーセリアの古代魔法王国か。
チバテレビだとめっさARIA及びスクランと被るから真っ先に切断対象かと。

キョウの心理描写が秀逸。護るべき者を失って放心しつつ思い出の場所をふらふらするとか、パソコン覗いてリョーコの声聞いた悲しみが追いつく瞬間、沸き起こる復讐心と同時に抱える何もかもを戦う理由にされていく苛立ちなどなど。しかもそれがただ王道というだけでなく、作品のテーマに沿った形になっている。
この作品の根幹に位置するのが「虚構と現実の狭間」というのは分かりきったことなんだが、それを端的にそして卑近に現すのが幻体の種明かしに次いで今回。「創作作品についてのお約束」を認知している登場人物が自らの存在の有り方、感情について疑問を提示するというある種メタな展開として描かれている点が凄まじい。


カミナギ、お前は予定調和に組み込まれたデータなんかじゃない!確かにここに生きていた!」


世界観はまあマトリックス臭さが増加してガンパレっぽさがまた増えてきたというのは正直どうでもいいのだが、データ人間だけになっちゃった後どうやってあんな戦艦をこさえたのかが非常に疑問点。


「生きています!リョーコさん!」→リトルグッバイ


でボロ泣き。音楽はズルいって言ってるじゃないか。どこまで行けば気が済むか!
というわけで意外と早くデータサルベージ成功。「敵方にデータ奪われて肉体再構成&洗脳されて超強い敵に、終盤でリョーコの映画のプロットみたく記憶喪失のデータだけ回収or第一話のキョウみたく記憶喪失になって舞浜でリセット&リスタート、キョウがシズノ先輩と同じ痛みを」という皆が予想してた二択ルートでは後者のようだ。ここまで次の展開が気になる上にその次の展開が予想以上に早い作品になるとは。二話連続で視聴者がひっくり返った、絶対。
ほんにまあシズノ先輩ぃッ!!あんた健気過ぎぃッ!多分副長が使ってたカミナギ弟を乗っ取った技術の応用だと思うんだけど、下手したら人格融合とか起こすんじゃないかと思ったよ。
次週あたりでリセット掛かりそうだけども。


それから今週は副長強化月間ですか(笑)。


ゼーガペイン −反・物語−

ただ、この作品の優れている、只者ではないなと思うところは、
まさに現代のアニメ、ポストモダン的なアニメと感じさせるところ、
この物語、ヒロイン(カミナギ・リョーコ)の生死を大きな物語
組み込むことを、主人公のソゴル・キョウが否定しているんですね。
過去の大体のアニメだとこういった”仲間の生死”は大きな物語の中に
組み込まれてゆく訳で、敢えてそれに反旗を翻した、反・物語的な
生死の物語は、「エヴァ」(綾波レイ)−「ナデシコ」(ダイゴウジ・ガイ)
とあって、ゼーガもその系譜(ポストモダンな物語)に連なっている…。

(中略:ガルマ・ザビの演説引用)

そこでは、個々の生死は大きな
物語の中の予定調和として吸収される。ドラマチックな生死というのは、
こういう大きな物語(ドラマ)に吸収されることが多いんだけど…、
キョウがあくまでそれを否定しようとするのは、私は好感を持った…。
反・物語は、誠実への意志。物語自身の企みに、乗せられないという意志。
自力で物語に抗したのは、キョウが初めてではないでしょうか。
碇シンジエヴァ)も、天河明人(ナデシコ)も、大きな物語に対抗する
積極的な意志はなく、ただ物語の背景が、大きな物語を壊すように働いた。
それに比べると、キョウは自己の意志で大きな物語の否定に行き着く。


ゼーガペインは、大きな物語イデア世界)に対するレジスタンス(抵抗)の物語なんですね…。
全体の構成(人類の進化を掲げるガルズオルムに対抗するレジスタンスのセレブラム)、
そして、個人個人の大きな物語に対する抵抗、そしてその抵抗を支えるのが、個と個
の直接的な人間関係(キョウ−リョーコ、クリス−アーク−シズノ、シマ−ミナト、
ルーシェン−メイウー−メイイェン)であるところが、私には、希望を感じさせるな…。
個に対する認識が、大きな物語に吸収されることに抵抗する。個と個の関係が、
個を消去する観念的な大きな物語に対抗する個にとっての最後の希望だと私は思う。

つまりは、世界への反逆だ(台無し)