デュランダルのやっている事は今の時代に置き換えると「究極のニート対策」です。いまニュースや新聞を見ていると、ニートの人達の多くは「やりたい事が分からない」と考えている様ですね。それに対してデュランダルは、じゃあ私がこういう選択肢をあげましょうと差し出してくれる存在なんです。それを遺伝子レベルで成し遂げようと言うのがデスティニープランでした。実際に人の性格の殆どが遺伝子によって決まると言う話を聞きました。無気力だったり反抗的だったり、それが全てだとは思いませんが、親兄弟の資質もしくは人種によっての傾向は確かにあるのではないかと思います。デュランダルはそれを管理する世界にしたかった。このデスティニープランを通して何を言いたかったかと言うと、「進化」とは何かを改めて考え直したかったんです。
進化とはパワーアップの事ではないんですよ。たとえばキリンの首が長いのは、大昔に突然変異によって現れた首の長いキリンは、首の短いキリンたちには届かない高い木の葉っぱを食べ、遠くの外敵を素早く発見して逃げる事で自然界の生存競争に勝ち残ったから。それにより首の長いキリンの子孫が繁栄し、首の短いキリンは姿を消す。この繰り返しなんです。つまり進化とは、変化じゃなくて、生き残る為に戦った末の「適応」なんです。生物の進化は戦いの歴史。戦って来たからこそ、人類をはじめとする全ての種は、未来をつないでゆく事が出来たんです。でもデスティニープランは、その進化を否定する訳です。管理された遺伝子と、その人種だけが生き残れて、異物は絶対に許さない。好戦的で利己的な遺伝子はきれいに消されて、間違いなく地球上から戦争は無くなるでしょう。ほとんどの人達が望んでいる平和な世界を作り出す事は可能になります。
しかしそれは閉じられた世界なんです。自ら進化をしないのだから、計算外の希望や未来は許されない。言い換えれば生物種としての自死を意味します。デュランダルはそれでもいいと言う姿勢なわけですよ。人類は愚かだから戦争によって絶滅する可能性もある。それよりは未来を閉ざしても生きたほうがいい。競争原理を消せば、争う心も無くなるだろうとね。それに対してノーを唱えたのがキラやラクスなんですよ。確かにデュランダルの言う通りにすれば、誰もが幸せに暮らせる世界は来るかもしれない。だけど、キラやラクスは人類の未来を失うのには賛成しなかった。彼らは戦争を否定していました。しかし、デュランダルと対抗した結果、争いのある世界をも容認してるんです。
二律背反する非常に難しい問題ですけど、キラとデュランダルのどっちが正しいかを決めたい作品ではない。デュランダルも正義だし、キラやアスランも……まあいろいろ問題はあるけど(笑)正義なわけで。
(中略)
DESTINYは物量的にも精神的にも、難しいことをやりすぎたかなという気はします。正直、かなり辛かった(苦笑)。最終回も駆け抜け過ぎましたね。レイがキラを選択して、デュランダルを撃ったでしょう。アレはデスティニープランに対する僕たちの答えです。レイは理論上は世界を滅ぼしたかったラウ・ル・クルーゼと同一人物の筈なのに、最後の最後でデュランダルの理想にノーをつきつけました。つまり、遺伝子を管理したとしても、人はやはり別人なんですね。君と彼は別人である。それをメッセージとして伝えたかったんだけど……ちょっと表現しきれなかったかもしれません。

だ、騙されないぞ!ちょっと納得しそうになったけど騙されないぞ!
そもそも表現し切れなかったとか言ってる時点でいくらでも後付けで言えるじゃないか!


あとクロスボーンガンダムがエースで連載開始というのは心踊るぜ。エンターテインメント的ガンダムという観点からはアレに勝るものはそうそう無いと思っているからな。

早いよ終わるの。